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Besteh! Besteh!

印象論で何かが語られる。オタク、創作、時々、イスラエル。

極めて個人的な映画関連メモ②

まえがき・感想を書くということ

 映画の感想ってどのタイミングで書けばいいのか困る。そりゃ見た直後が内容も細部も覚えてるから精度の高い感想が書けるだろう。精度の高い感想ってなんだ。でもまあ「思い出補正」なんて言葉が示す通り視聴してから時間が経つとノイズが入り込んでやっぱり正確な評価はできないらしい。

 論点は循環する。正確な評価ってなんだ?正確、というのは客観的正しさを持ってるということになると思うけど映画は個々人の視点から成り立つものだからそんなこと言っても不毛なんじゃないか(この文章がそも不毛であるという抗議はもちろん受け付けている)。
 論点がずれているので修正する。感想を書くタイミング、これが難しい。一度楽しんで見た映画でも、数年後また見返して見るとつまらなかったりする。以前にホドロフスキーの『リアリティのダンス』を新宿のシネマカリテで見たとき、筆者は最高に楽しんでたのだがその何カ月後かに早稲田松竹でやってたのを見たら何故か退屈で苦痛な映画になってしまっていた(ちなみに同時に上映していた『ホドロフスキーのDUNE』も退屈だった。完成しなかった作品が「傑作になったはずだ」と言われ続けるのホント腹立つ。だったら完成させろよ)。もちろん、逆に後から見たら面白かったなんて例もあるかもしれない。まあつまんないと思った映画は二度と見ないだろうけど。
 

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これ見るんだったら『エル・トポ』を見返した方がマシだと今はそう思ってる。
 
 『リアリティのダンス』の例は2度目を見たから発生したものだ。早稲田松竹が『リアリティのダンス』を上映しなければ、後輩の映像オタクに誘われなければ、筆者の中での『リアリティのダンス』に対する感想はポジティブなもののままだったはずだ。早稲田松竹様にも後輩の映像オタクにも罪はない。
 「感想」なんてものはいくらでも変化する。ブログや雑誌に書き記されたそれはその瞬間のその人の感性から切り出したものでしかない。「評論」となるとまた別のものになるからここではそれは省く。筆者は評論を書けないし。
 そんなわけで、映画の感想を書くのは難しいなと思った。筆者は元から厳密性だとか反証可能性を考えて文章を書くタイプではないので何を今更と言うところだが、こうしてみると結局何のために映画の感想を書くのかよくわからなくなる。
 だから、映画の感想を書くという行為は映画を筆者の感性が切り出すというより映画が筆者の感性を切り出す、と言った方がいいのかもしれない。これでまたこのブログの私性が高まってしまった。
 
  そんなことを思いながらも、とりあえず、また今回も感想を書いてみようと思う。この前早稲田松竹で二本立てでやっていたベルナルド・ベルトルッチの『暗殺の森』『ラストエンペラー』の二つ。
 

ベルナルド・ベルトルッチ暗殺の森』(1970)

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 タイトルがネタバレなので何言ってもいいだろう。
 ファシズム政権期イタリアのスパイがハネムーン中に反ファシズムなフランス人老教授の奥さんに恋をしたり老教授諸共奥さんを殺したりするそんなお話。
 筆者はファシズム期イタリアという背景に興味を持って見に行ったのだがぶっちゃけそこらへんは重要じゃない。テーマ、みたいなものは主人公マルチェロ・クレリチのどうしようもないクズさなのだが、視聴者は無条件に彼をなじることはできないように思う。幼少期に同性愛者に襲われそれを射殺してしまったというトラウマがあるにしても、ファシズム政権下で「正常」を渇望するクレリチの歪曲した精神はどこか他人事とは思えない。別に視聴者全員がそう思う必要はなくて、クレリチのどクズさ加減に苛立った人なんかは途中で席を立ってもいい。けれど、恋した老教授の奥さんを自分の手で殺すことなく、黙って殺される様子を見、名前を呼ばれても黙っていたり、イタリアの敗戦が決定した際に友人(この友人は視覚障碍者ファシスト党員でクレリチの入党を仲介していた)を「こいつはファシストだ!」と糾弾するそのクレリチのどクズさに筆者はどこか共感や愛着を覚えてしまう。
 そんな自虐的共感とともに感じていたのは、この映画が凄まじいモダニズムを映し出しているところで、近代主義者である筆者はたまらなく興奮していた。「モダニズム/近代」の定義論争をするつもりはないのであしからず。
 車両で移動する、カメラを傾かせる、車の移動方向の直線と鉄柵の直線が交錯する、巨大な構造物の中、床という平面と階段という立体が交錯する、ダイナミックに。ベルトルッチが意識していたかどうかはわからないが、この空間や視点の使い方に筆者は(半ば勝手に)モダニズムを見出してしまっていた。モダニズム好きでない方が見ても、この空間の魅せ方は非常に卓越していると思う。
 映像面から言うと、光の演出も巧い。クレリチと老教授の会話の中でプラトンの洞窟の比喩が出てくるのだが、その際にカメラはクレリチの影を映し出し続ける。最初はペダンチックで安直やなと思ったがじっくり見ているとこれもありやなと思うようになってしまった。他にも夕陽の差し込む列車内での濡れ場、曇天に暗いパリ(特にお気に入り)、陰鬱な森の中、ラストシーンの蝋燭など、若干ストレートだなと思いつつも光の重要さを思い出させてくれるシーンが多い。嫌いじゃない。
 
 正直、見ているときは退屈だったりストレスの溜まったりする映画かもしれない。けれど、見返したり(今こうして筆者がやっているように)思い出して考えてみたりするとなかなか面白い映画となっている。スルメ映画、オススメ。
 

ベルナルド・ベルトルッチラストエンペラー

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 アカデミー作品賞も取ってたし舞台が東アジアということで日本での知名度はかなり高いと思う。なので筆者が今更感想を書く必要もないように思えるけど既に述べている通りこのブログは極めて私的なのでそこらへんは気にしない。気にしたいのはぶっ続けで映画の感想を書くのは疲れるので筆者がこのままちゃんとした感想が書けるかどうかだ。ちゃんとした感想の存在可能性の是非については語らない。

 知っての通り「ラストエンペラー」とは清朝最後の皇帝である愛新覚羅溥儀のことでこの作品は溥儀の生涯を映した歴史映画であるが、「どうせみんな展開は知ってるでしょ」ということなのか最初から戦後中国、つまり中華人民共和国が映し出される。戦犯逮捕スタート。ストーリーは中国での戦犯溥儀に対する尋問・強制収容所生活と清朝満州国時代を行き来しながら展開されていく。

 それを聞くとめっちゃ面白そうやんけと思うだろう。けれど、それに続く清朝時代の映像を見たときは「失敗したな」と思ってしまった。まず登場人物が一部を除いてほとんど英語で演技し始めたので「英語帝国主義許せねえ……英語帝国主義許せねえよ!」となってしまった(既に序盤で英語は使っているのだが)。まあだいたいこういうのは後々気にならなくなるのだが、つまらないことに腹を立てるオタク特有のめんどくささを発揮し掴みは著しく低かった。また、溥儀を清朝皇帝に指名する西太后も序盤で出てくるのだがそのオリエンタリズム丸出しの演出にまたしても筆者は「欧米中心主義許せねえ……欧米中心主義許せねえよ!」と無駄にアジア的憤りを感じてしまった。無駄に変な学部で無駄に変なことを学んでしまったので無駄に腹を立てることとなってしまった。こういうことは社会に出ても一切役に立たないのでさっさと忘れたい。

 そんなわけで掴みは最悪だった。皇帝の即位式において数千のエキストラが溥儀の目の前で三跪九叩頭の礼をするシーンは圧巻だったりするのだが、英語の飛び交う紫禁城の中で「アジア的」演出が映し出される。なんやねんベルトルッチ。付け加えると筆者はフィクション中に出てくる「子供」という存在が死ぬほど嫌いなので天真爛漫というか厚顔無恥に振る舞う幼少期の溥儀にも半ばキレていた。もう見るのやめろよ。

 状況が変わるのは溥儀が思春期くらいに入ったところ、辛亥革命の勃発から。筆者が国家の滅亡やら革命やらといった要素が好きなのもあるが、こういう衰退を見るのは本当に楽しい。辛亥革命紫禁城に閉じ込められ、北京政変では逆に追い出され溥儀は妻の婉容・文繍とともに天津に逃げる。

 どうでもいいのだが思春期の頃から溥儀に仕えていた家庭教師ジョンストンさんがいい人すぎる。欧米人はやはり知性と人間性を兼ね備えているのか、それに比べてアジアのイエローモンキーどもは……とまた無駄なことを考え始めてしまう。どうでもいい。

 こっからはもう凋落アンド凋落の連続である。ジョンストン先生は「イギリス政府が助けてくれる」言ってたのに手を伸ばしてくれたのは結局日本だけだし下心丸見えだし、側室の文繍にも逃げられるし、溥儀に構ってもらえない婉容はメンヘラをこじらせるし。そうして満州国建国へと進んでいくのだが、ここらへんになるともうすべてが空疎である。皇帝即位の儀式もおままごと、婉容はアヘン中毒、皇帝の権威も見かけ上だけで実権はすべて日本のもの、最高かよ。

 あとはお察しのように世界大戦が終結し日本は敗戦、溥儀も逮捕され最初のシーンへと繋がる。王様気分の抜けない溥儀が収容所内で根性叩き込まれるシーンは性格が悪いようだがすかっとする。その後、収容所内での「教育」を終えた溥儀は北京で一般の植物園職員となるのだが、この後のラストシーンがこの映画屈指の名シーンとなっている。半世紀ちょっとでここまで時代が変化するものなのか、20世紀が最高だった理由の一つを垣間見ることができる。

 映像面から見ると主演のジョン・ローンの演技が非常に良い。溌剌とした青年期からどんどん生気が失われていくも、戦後になるとどこか解放されて悟ったような表情をする溥儀、そうした変化を巧く表現していると思う。そういえば音楽は坂本龍一だが、少しベタつく。久石譲もそうだが、この二人の映画音楽はなんだか映像より前面に出ようとしている気がする。音楽自体はいいけど。

 実験的にあらすじと一緒に感想を書いてみようと思ったが、やけに長くなる。映画も長い。劇場公開版だと3時間弱、オリジナル版だと200分を超えるとかなんとか。個人的に映画は120分を超えると一気に面白さのハードルが上がるのだが、これはそのハードルを越えていたと思う。でも長い。疲れる。なのでもう二度と見ないだろう。けどあのラストシーンをもう一度見たいという欲も湧き上がる、そのためには再び160分見ないといけないのだが。

 

おわり

 感想を書くのがどうだこうだ言っていたが今ここで思うことはやっぱり多分に労力が要るということ。もう少し楽に書けて面白いトピックはないのか。適当に考えていたのは映画版『バーナード嬢、曰く』みたく「見ているとかっこいい映画・通ぶれる映画」とか紹介できたらと思うのだがああいうのは書いている人が通だからできるわけでこの企画もなかば諦めている。